

| 名前 | Jeremy(ジェレミー) |
| 姓 | Jones(ジョーンズ) |
| 国 | アメリカ合衆国 |
| 誕生日 | 1975年1月14日 |
- スノーボード
- ヴァーモント州の量販店でJeremyは生まれて初めてスノーボードを目にした。その瞬間九歳の彼はこう感じた。「始め時だな」
東海岸でサーフィンの真似事と、スケートボードをしながら育った彼にとって、何一つ縛られることない、まるでデザインの革命のような木製のスノーボードを一目見た瞬間、自分が愛して止まないものが全てそこに凝縮されていると感じた。
初めて買ったボードを裏庭の丘に引きずって登ったときから、20年間のキャリアを経て、8度も“Big mountain rider of the year”をとったJeremyは原点に回帰した。誰も滑りこなしたことがない、ほぼ垂直な斜面を滑ることを通じて、JEREMYの名は“big mountain heli-boarding”として知られることとなった。今日では、ただ素晴らしい滑りをするだけでは、Jeremyにアドレナリンに湧かせることはできなくなった。理由は彼の人生のように多種多様なのだが、これまで、一人で大きい山を冒険するがごとく滑りを楽しんでいたが、彼は今やこの技術に溢れた滑りに終止符を打ったのである。
- コンテストに行く途中に起こった面白いこと
- 13歳になる頃には、リゾート施設がボードの解禁に踏み切り、Jeremyは幾多の冬をスノーボードをして過ごした。この「不良たち」にどう対処するつもりだったのかは分からないが、施設側は客を選んでボードで滑る「許可」を与えた。Jeremyはその認証を得た最初の一人だったが、「そんなの許可は直ぐとりあげられたよ!」と笑って語った。もし「許可」持ちのボーダーが他のスキーヤーやボーダーに接触事故を起こした際には施設側が責任を取らねばならないことに誰かが気づいた。Jeremyはそれを知ってからというもの、施設で滑る時間は少なくなり、裏庭の丘で滑る時間が増えた。滑り降りる為のソロハイキングだ。
スノーボードを始めたばかりの頃、成長は痛たましいほどに遅かった。「スキーの板を一目見て、その後、ボードをみる。そしてこんなことを思う。なんでボードはこんな形してるんだ、って。」
Jeremyは今でもこのことを覚えている。
アマからプロへの移行もやはりこの上なく大変だった。今日のアスリートが当たり前と思っているスポンサーやサポートなしで、Jeremyは14歳の頃から1シーズン平均35コンテストを戦い抜きながら、20歳になるまでホテルに泊まったことはなかった。ある年の冬には、300個のピーナッツバターサンドイッチを食べ、$10000の借金を背負って学校を卒業した。毎冬15ポンド(6~7キロ)体重を落とし、あるシーズンでは病気にもなった。そこで彼はスポンサーに究極の選択を迫った。「サポートをもう少し手厚くするか、スポンサー契約をやめるか、どちらかを選んでくれ。」
アメリカ西部での最初の大会に向かう際、ジャクソンホールへ寄って兄弟を訪問した。その時 Jeremyはこう語っている。「もう世界チャンピオンなんてどうでもいい。ここで皿を洗いながら、ジャクソンホーで滑っていたい。」
- 発見の歳
- シエラスの家には、彼の数々の活躍がトロフィーや写真として壁に飾ってある。大会のトロフィーは部屋の隅にかたまっていた。「自分にとって最大のご褒美は、そして自分を満たしてくれたものは、今まで滑ってきた山々だ。幾多の世界の山を滑り、僕は自分のボードを次のレベルに高めることができた。」この次のレベルへの昇華とは、彼にとって「始まりに戻る」ということだった。これは一つには、ヘリを調達する予算さえあれば、Jeremyの探険の新たな一幕 ―世界で最もアクセスが困難な峰々に脚を踏み入れ、スノーボードの探険をすること― と同様に大きな山でボードできると主張する批評家への意思表示であった。この批判が狙いとしていたのは、簡単にいけてしまうところや、お金を払えば何とでもなる地形では得られない、孤独で純粋なアドベンチャーの喜びを再度、捉えなおすことにあった。
「5日間の旅の後、水の上を1週間歩いていた。」と彼は語る。「僕はそこで、酔っ払っていたようなもんだ。簡単にアドレナリンが溢れ出る。こんな状態になるためには、ヘリコプターから飛び降りて、“5thギア“で加速しなくちゃいけない」
JEREMYの最新プロジェクトはTeton Gravity Resarchと共に撮っている“Deeper”という映画だ。この映画は2010年にリリースされた。世界で最も足を踏み入れがたい場所で、2年間の挑戦を映し出した。Deeperからこんなメッセージ性を感じる。「世界級のフリーライディングは、望めば誰にでもチャンスがあるんだ」
冬の間ずっと撮影に時間を取られていたが、Jeremyは同時に$300のお金を費やし、ガソリン代、食費に充てるのみならず、フリーライディングの現状と今後のあり方を再定義するために必要な山々を探し回ったのであった。
- うちに近づく
- 原点回帰こそ、Jeremyの“Protect Our Winter(おれたちの冬を守ろう、略してPOW)”プロジェクト推進したとも言える。NPO組織が地球温暖化を進めさせないために、ウィンタースポーツの各コミュニティを一致団結させるのに尽力した。POWにインスピレーションを与えたのは、Jeremyの挑戦と、雪の層が徐々に上昇しつつあり、山そのものが変わりつつあることへの気づきであった。このメッセージをうちに持ち帰って、Jeremyはシエラスで多くの時間を過ごし、シエラスについて新たな発見をしている。「ここなら三時間でもドライブできる。すると、まるで新しい世界にいるように感じるんだ。」
Jeremyの行くところが、常にスノーボードの最変革点であり、ボーダーたちは自ずとそこに着いてくる。

