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Biography

名前Jordy(ジョディー)
Smith(スミス)
南アフリカ共和国
誕生日1988年11月2日
サーフィンとともに育つ
Jordyの故郷、ダーバンにあるサーフブレイク、ニューピエールの風景を見れば、敬意と勤勉さ、そしてより高みを目指し努力しようという前向きな態度を、自然と学ぼうという気分になる。地域色の濃さで知られるニューピエールから、Jordyは大小両方のホローサーフをいかに周りより上手くなるかを学んだ。これら全ての特徴は、他の選手と比べより長いサーフ歴を持つこの若きスーパースターが生まれながらにして持っていたものだ。3歳の時、自身サーファーであるJordyの父は、彼を地元のビーチへと駆り立て、波に入るよう促し始めた。“Smitty”あるいは”Superfreak“としても知られているJordyだが、彼は15歳の時までには早くもサーフィンを始めており、サーフィンこそ究極の天職であることを悟っていたのだ。
家族の絆
「僕はMartin PotterやShaun Thomsonを尊敬していたけど、お父さんこそがサーフィンの全てを教えてくれ、また誰よりも僕を励ましてくれたんだ」と、23歳の彼は言う。育てられ方について聞かれた時、彼の母と妹はともに、彼をきっちりとしつけようとしたとコメントしている。この編み物のように親しい家庭環境が、Jordyがアマチュア界であれ、プロ界であれ、ともに大きな成功を収めた理由のひとつである。ツアーに出るときには、彼は主に家族とチームマネージャーとともに滞在する。彼らの助けがあって初めて、Jordyはツアーに集中し、質の高い休息と食事を取れるのである。

2006年に世界ジュニア選手権優勝、2007年にTrinple Crown Rokkie大会の年間優秀賞を達成し、また2008年にWCT大会優勝を果たした後は、この調子で成功しなければならないというプレッシャーを強く感じた。しかしプレッシャーごときに負けるJordyではなかった。「決して自惚れることなかれ」彼はサーフィンをするときいつも心の中で、自分にそう言い聞かせた。

「僕にとって初ツアーの年は多分ベストじゃなかったけど、そこから非常に多くの経験を得ることができた。ただ決められたスケジュール通りに、自分にふさわしいボードを持ってイベントに参加し、心積もりを忠実に守ることが、僕には大いに助けとなった。2008年、ツアーを回るのにあまりに多くのボードを使ってしまい、大会の都度新しい技に挑戦してしまったんだ。この経験からすぐに学んだのは、準備こそ最も大切なことだということなんだ。」
現実を認識
ツアーに参加するのは必ずしも楽しみやゲーム感覚ではない。Jordyがこのことを学んだのは、数年前の“Maxing Sunset Beach”で前十字靭帯と膝の半月を痛めた時である。立ち上がろうとすると、前脚が前に大きく滑りこけてしまい、結果、直後のセットで大失敗を演じてしまった。次の波に乗ろうとする時になり初めて、何かがおかしいと気づいたのだった。
彼は語った。「あれは非常につらい瞬間だった。もう一度波に乗ろうとしたけど、ただ脚をさらに痛めて立ち上がれなくなっただけで、本当に信じられなかった。」この経験があったからこそ、Jordyはさらに強い競技選手へと成長したのである。
チャンピオンの誕生
世界の最優秀サーファーの中におけるJordyのランクは決して偶然ではない。成長の過程で、サッカーやテニスなどのスポーツが果たした役割は非常に大きく、集中した中での決断力と、競技への意欲が養われた。ジュニア選手として、Jordyは南アフリカのナショナルサッカーチームに選ばれた。もしサッカーが圧倒的な人気を誇る国であれば、彼は早くも将来を保証されたであろうし、海外でプレイするチャンスも廻ってきたであろう。11歳の時、Jordyは実際イギリスでサッカーをプレイしないかとの依頼を受けたが、その代わりにサーフィンをすることを選んだ。彼は、サーフィンこそ自分が本当に情熱を燃やせることであると悟ったため、何時間もぶっ通しでサーフィンのビデオを観、例えばKelly Slaterのようなサーファーが見せるお気に入りのムーブメントを覚えたりした。

Jordy自身が有名になり始めたときも、彼は自分が次世代の大物だ、などと主張することはなかった。その代わり、基礎トレーニングの時間を少し削り、新しいトリックの発明に取り組んだ。例を挙げるなら「swiss-roll」であろう。これは、両手でボードを掴み、360度スピンするシグニチャーである。

2009年に彼は“Rodeo Flip”に挑戦した。それは、多くの人にとって、現在のところ最も難しく、見るものに畏怖の念を起こさせるトリックである。革新的なトリックが詰まった彼のバッグに次どんなトリックが用意されているのか、それは時のみが知るだろう。

彼は単にサーフが上手いのみならず、実はユーモアのある人間で、喜んで周りの人を楽しませる性格である。特に、あの悪名高いバットマンスーツ姿のJordyを見たことがある人は誰でも、そう納得するであろう。しかし、一旦ツアーが始まるや、“ゲームタイム”となり、剃刀の刃のように鋭い眼差しを、世界チャンピオンの象徴である波と競技に向けるのであった。ターンプロ以降、メディア業界の注目の的とされているJordyだが、彼自身、次の世界ベストサーファーとなる準備に抜かりはない。
ASP WORLD TOUR ~お披露目~
2006年、Jordyは競技サーフィンの世界にその名を轟かせた。彼はASP・プロサーフィン世界選手権・二次リーグは言うまでもなく、ASP世界ジュニア選手権大会で優勝し、たった1年で“ASP Dream Tour”に参加する資格を得たのである。2008年にASP世界ツアーに公に参加する前に、自身の裏庭である南アフリカ・ジェフリー湾にて行われたASPのイベントに参加、主催者推薦賞を既に獲得していた。ここジェフリー湾でのイベントでなんと驚くべき3位を獲得した彼は、引き続き2007年にASPイベントで9位を獲得、ツアーの主要メンバーであったParkinsonと、前ASP世界チャンピオンであったAndy Ironsを予選で破った。

ベルズビーチでのこの驚くべき9位という順位により、Jordyは世界サーフィン界の未来を背負う男としてますます認知されるに至った。Jordyにとって2010年は、ASPツアーへの「お披露目」の年であった。年間通じ、一貫してよい結果を出し続けたことにより、彼は世界トップ選手としての地位を得、また世界チャンピオンの主要候補となった。彼にとっての最高の瞬間が訪れたのは、その年の7月、ジェフリー湾においてであった。Nelson Mandela氏の誕生日に、地元の人々の応援の中で、Jordyはジェフリー湾の荒波をうまくつかみ、伝説のKelly Slaterから、ランキングNO.1の地位をもぎ取ったのだった。
過去、現在、そして未来
たった23歳にして、Jordyは、手にするのにおおよそ10年はかかる、サーフ界での成功と技術とを得た。驚くほどに注目されているこの生まれながらの才能であれ、あまり知られていないユーモアのセンスであれ、彼は、成功のコツを知っているサーファーである。広大な空と線路のように入り組んだ海岸線を見ながら、Jordyは、彼の「労働観」とサーフィンスタイルが磨かれた場所であるニューピエールの荒削りの海岸で過ごした日々をいつも思い出している。サーフィン界のニューフェイスはついに公に到着した、その名は、“Jordy Smith”。

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